『見逃してやっただろ?』
無邪気に、年上の癖にそんな風に笑う大人は考え得る限り、さいてーだ。
「お前、開け過ぎ」
「なにすんすか」、と思わず声を荒げてしまい噎せ込んだ。絵面的には不良に絡まれたメガネ君、とかそういうシチュエーションだが残念ながら相手は教師で自分は生徒だった。
「頭髪はウチ厳しくしてねぇけど、これは開け過ぎだろ。七はねぇわ」
放課後、珍しく一日中真面目に授業を受けたりなんかしてしまった日。人気が絶えるのを待って帰ろうとしていたら、何故が副担任に捕まった。とは言っても髪に隠れていない所のロブとコンクは、両耳でも二、三個にしか見えない筈なのに。目敏い、ヘリックスまでバレていた。生徒指導でもないのになんだこの人。透視か何かだったのか。
もうすぐ試験前の検査あんだから外しとけよー、と軽く耳打ちして来る。呆気に取られて思わず訊いてしまった。
「没収、とか、しないんですか」
「ん?あぁ、面倒だしな、見逃してやるよ。有り難く思えー」
生徒に指導を怠っておきながら感謝しろとはどんな教師か、と大口叩ける立場でもない。と、いうかーー 近い。この人、気付いていないんだろうか。
けど、通報されなかったのは不幸中の幸いだった。一つ一つ選んで身に付けている物を、態々取り上げられたい人間は少数派だ。そして俺はそんなマイノリティに属してはいない。
「……先生」
「ん?」
「今度コーヒー奢ります」
「そりゃいい。期待しとく」
腹立つくらいの体育会系スマイルをしやがった教師に軽く会釈して、開け過ぎだと評されたそこに触れてみる。気付いちゃいないのだ、あの人は少しも。お守り代わりに佐川明が身に付けているシルバーのネックレスと同じショップのピアスを、おれが右耳にしていることなんて、微塵も。
その日偶々自販機のアタリが出たからとか。そんな見苦しい言い訳するつもりはないんだけど。ウチはよく分からない校則を設けていて、頭髪は緩くてもピアスと化粧には厳しい。ケバい年増共にこれを適用してくれないあたり大して役には立っていない。そして校内、特に生徒が使用し得る場所は全面的に禁煙らしい。生憎煙草を吸う程不良じゃないから肩身の狭い思いをするのは大抵教諭陣な訳で。
そしたらまぁ、件の謝礼をしようかと昼休みに探しているとだ。
「おーっと……仲野」
「何してんすか、こんなとこで」
予想外、なんて面で声をかけてみた。その手にあるのはライターと、点火前の煙草が一本。
そこは中庭が良く見える非常階段で、どの校舎からも死角になる踊り場に佐川は腰掛けていた。
どこからどう見てもこれから一服しけ込もうとしている現行犯だった。曲がりなりにも教師なのだから、とは思う。けど邪心がなかったと言えば嘘になる。でも明らかに、その瞬間だけは佐川の動揺が見て取れた。
カシャ
「おいおいおい、何してんの」
とか何とかぼやきつつ、少しも焦ってなどいない口振りの佐川が煙草を吸い始めた。目一杯吸い込んで空中に吐き出す様が、餌にやっとあり付けた飢えた動物のようで何処か悲哀を滲ませる。いやそうじゃない。散り散りになっていく半透明の有毒性を眺めている場合でもなく。目の前で躊躇いもなくやられてしまうと、なんだか拍子抜して訊いてしまった。
「いいんすか。ダメなのに。めっちゃ吸ってますけど」
「ダメじゃねーよ、見つかんなきゃいーの。ほら、もう鐘鳴るぞ」
俺のはカウントされてないんだろうか。てか今写真、撮ったんだけど。考えないのだろうか。ばら撒かれるとか、そういう流れを危惧するとか。そういえばこの人、教頭からの心証悪かったんだったかな、とか。これは盗み聞きした話だから確証はなかったけど。脅してやろうかな、とか、この状況で浮かばないヤツなんていないんじゃないか。そういう視線を、この人に向けてみる。
暫く手の甲を向けて追い払う仕草を見つめていると、徐に腰を上げた佐川が咥え煙草のままにやりと笑った。
「それ、見逃してやっただろ?」
程なく追いつけそうな背丈を少しだけ屈ませて、俺の左耳に紫煙臭い吐息を吹き込み、囁く。その動作で、佐川の首元を、肌の上を。鈍色のチェーンが流れ落ちた。
ふーん
「俺が口外しないって本気で思ってます?」
悪ぶっているつもりはない。でもそういう評価に反抗しないなら、認めているのと同等で。
ピアスがその証なら、多分俺は健全な青少年ではないのだ。
「へーきへーき。だってほら、」
「は……?っ……‼︎」
これで仲野も共犯、と
この教師は、俺の口に捻じ込んで来やがったのだ。吸いかけの、火が唇に届かんかという煙草を。
「っげほ、っちょ、あんた何して——」
慌てて口元から離した吸殻を足で踏み消して、立ち去ろうとする佐川を振り返る、と
するとどうだ。先程まで手にしていた筈のコーヒー缶はいつの間にか佐川の魔の手に落ちているではないか。何だそれ、プロのスリかよ、とか思ってしまう手際の良さに開いた口が塞がらない。
「ちょっと、」
「仲野」先手を取る様に、佐川が半身だけ此方に向けた。
「コーヒー、ありがとな」
しれっと言い放つ、その態度が
「っくっそまず……」
ほんとに、さいてーな人だ。