chameleon

 爬虫類に似た目の色が何色にも移ろい出した時、ああまたかと安堵する。
 俺は姿を変えられない。だから直ぐ捕まってしまうのだ。

 『またバレたんだって』

 『変装』と『擬態』の違いとは何か。
 時折同じ嗜好を持つ知合いと会話に登る事があった。度々話題になるも、納得のいく着地点を見つけられずに終わってしまうのが常だった。
 
  曰くそいつが言うには、『変装』は後天、『擬態』は先天だ、と。他者を欺く行為に於いての意味自体はどちらも変わりないだろう。しかし後天的な変装を既に身に付けていた互いに取って、擬態とは羨望の的でしかなかった。
『結局は後付けなんだし、見る奴が見たら気付くもんなんだよ。不自然に浮いてるわけじゃないのにな』
 その通りだった。どれだけ周囲に化けていようとも俺は周囲そのものに色を変えてしまえる類の人種ではなく、幾度かの失敗を経て尚足掻こうとして余りにも呆気なくそれは起きた。

 「ああ、アンタがそうなんだ。知ってる?他の連中が何て呼んでるか。男好きの優等生、って」

 容赦なく叩き付けられた雑言に足が竦んだ。
 いつ、何処から、どうして。
 止め処なく湧いては消える疑問符を押し退けるようにして、その時もう一つの強い衝動が胸を焦がした。

 本物はいた。これ程近くに居るとは思わなかったんだ。見抜けない、見抜かせない先天的な、モノを持っている奴が。

 「…​…​杉生」

 話した事は無かった。正面切って見詰めた顔に、息が止まる。
 均整の取れた気怠げに眉間を歪ませた男に、俺が誘なわれるのはそう遠い話ではなかった。

 こいつの擬態は完璧で、例え真面目腐って俺が吹聴しようが喧伝しようが説得力に欠けるのではないかという恐れの方が遥かに大きく、連れ込まれていく何人もの女達には不審がられて終わる未来が容易に想像出来た。実際昨日も試みて、扉に掛けた手が動かなくなってしまったのだ。
 でも知ってる。俺は知っていた。

 「東堂…​…​何やってんの、こんなとこで」

 部屋戻らないの、出し抜けに言う杉生の姿はラフなもので、時刻が日を跨いだ今に至るまで非番だったらしい事を物語る。 幾つも並んだ扉の前で、間抜けに突っ立っていた俺が悪い。ただ、会いたくなかった奴に会ってしまえば機嫌なんて簡単に下降していった。

 「何でも…​…​また弟が馬鹿やったって連絡して来た」
 「弟なんていたんだ」

 大して興味の無さそうな話に乗って来る。藪蛇だったか。珍しいこともあるなと身内なのか他人なのか分からない兄弟を余所に思う。掌に握った自室の鍵が耳障りに喚く。

 「一人だけだよ。どうせお前が聞いて楽しい話にはならない」

 他の誰かの香りを纏わせながら佇む男は、俺の前で誰かの話ばかりする。色を自在に操って、何不自由なく生きている。捕食されないよう滑稽に装うしかない愚かな奴とは全てが異なる。例えそんな愚者がどれ程渇望しようとも、素気無く見限られる。初めから目玉が別々の方向を向いている様で、気味が悪く、故に手放せない。

 「それは俺が決めるんだよ。 お前、最近やけに空けるよね。メールもない」

 空けていたらなんだというのだろう。送った所で返さないのに。こいつと俺の仕事は分担が別で、そんな事は理解している筈だ。第一俺がお前のような奴と組んで仕事なんて出来る訳がない。日々金を巻き上げるだけの顔役には向いてないと知っているだろうに。馬鹿をやった弟をとやかく言えた義理ではない。

 「覚えてない、どうでもいいだろ」
 「ああ、男でも漁ってたの」

『そんな事』がある訳がない、と確信し、俺が真っ先に否定すると見透かされている。どうしてこいつが俺の前に居るのだろう。何故擬態したままでいてくれなかったのだろう、何故見破られてしまったのだろう。
 それならば互いに見付からずに済んでいたのに。

 「違うに決まってるだろ。お前だって、さっきまで寝てたんだな」

 寝乱れていてもマシに見えてしまう髪を指差して、馬鹿馬鹿しくも訊ねた。腹癒せか、それとも矮小な反骨心かは分からなかった。

 「向こうがどうしても一晩だけって聞かなかったから」
 
 あっけらかんとして口角を上げる男の微笑は何か底知れぬ意図を見せて、直ぐに立ち消えた。真意はどうあれ、それが女だろうが男だろうがどちらでもいい。聞きたくもない。聞かせないで欲しい。早くこの場から離れたい。いい加減こいつの相手をしているとおかしくなりそうだった。それなのに。

 「そう…​…​なぁもういいか、今からまた仕事が——」

 「追い返したけどね」

 ほら見ろ。この男はこういう奴だって知ってたじゃないか。どうして立ち止まったりなんてしてしまったのだろう。無視をする事だって出来たんじゃないか。
 (どうする?)
 欠伸をしいしい男は糸を垂らした。そんなもの取って堪るものか。何を今更、何て浅ましい。蒙昧無知な恥知らずがと脳内で自虐の警報が鳴ってる。転がされているだけ、期待させられているだけだ。どうせ捕まりはしないんだと必死に言い聞かせた。

 「じゃ、お仕事頑張って」

 すれ違い様に手だけを振り、そのまま男は横を通り過ぎて行こうとしていた。大きく息を吐いて、眉間に指を当てる。そして振り向く。煩い、もう分かってるんだよ。

 「彰っ」

 直後、パシン、と乾いた音が杉生の手に吸い込まれる。

 じゃら、と難無く受け止めたキーホルダーを当て付けのように揺らめかせ、続きを促す男の顔は既に勝者のものだった。仕方ないんだ、だって初めから造りが違うのだから。
 見窄らしい格好をしていても、暴かれてしまうだけだから。

 「…​…​終わったら戻る」

 「起きてたらね」

 だから早くおいでよ、下手な仮面なんて捨てて。
 それは願望から来る幻覚か、街灯の明滅に照らされた錯覚だ。けれど交わった互いの視線は酷く似た色を灯していた。