恵まれない幸運に

 悪魔×自殺者

 彼は救われてしまったのだ。

 昔共に見た古い教会のステンドグラスの中には確かに居たんだ。
 人々を導く御使が、確かに無邪気な信奉を受けて輝いていたんだ。

 乾風が秋めく空に吹き荒ぶ。屋上の遥か高みから眺める風景はつまらないくらい隅から隅まで知っている場所ばかりだった。そんな小さな、片手で収まる程の世界が地上からだと何故全く果てのない途方もない存在に思えてしまうのだろうか。
 何かを手放そうとする時の得も言われぬ高揚を手に入れた足元から重力がなくなり始める。
 ふらふらと頼りないまま日暮れに群れなす鳥に手を振る。彼らと同じ目線に立っても己の矮小さは決して拭えず、対等には到底なれやしなかった。諦め切れずに見上げ続けるのにはとうに疲れてしまった。
 ああ。もうほんの少し踏み出すだけでいいんだ。
 引き返そうにも刻一刻と流れていく時間がじりじり背を押している。

 躊躇うのはいい加減にしろ。
 不必要なお前は消えてしまえ、と路地に鐘が響いた。
 あれは筋向いに建つ小教会の時報だろうか。いや、気にして何になる?

 もういい。もう十分待った。遅刻は厳禁なのだ。今度こそ必ず辿り着かなければいけないのだ。

 前に一歩踏み出すと身体を引っ掴んでいた地面がすとんと何処かに抜けて、落ちて行った。真っ逆さまのその終わりは自分の終わりと同じ速度で迫って来る。悔やむ間もなくやって来て、ビルの群れを天辺から反対に向かって前進して行く。

 が、空白の肉体が叩き潰されるという時になってそれと目が合った。

 ◆

 「まずは君の新しい誕生日に」

 男のような姿をした『何か』が拍手を打ち鳴らす。嘲笑的な喝采を寄越したのは何処の劇場から抜け出して来たのか、風変わりな出立の男だった。どういう訳か足場もない宙空に立っている。しかしそんな光景にも増して、真っ先に視界に飛び込んだのは自らの横たわった身体だった。
 それを前に生誕祭だと嘯かれているなんて、どんなに滑稽な芝居でもお目にかかれる脚本じゃない。笑おうにも声が出ない。

 最期になんて悪趣味な走馬灯を見せてくれるのだろう。などと考えていても瞼を持ち上げたままでは目の覚めようがない。そうしていつまで経とうと辺りの風景は嘘くさいほどいつも通りの日常のまま、異常さの象徴である彼はというと平然とした顔で恭しく俺の手を取って言った。

 「ようこそキール。そしておめでとう」

 目の前に広がる光景は揺るぎようの無い事実だけを酷薄に伝えていた。事実明後日の方向へ曲がる——人間、元自分、自殺した愚か者のいずれか——の手足は想像よりも遥かに生々しい。肌から突き出した黄色い枝のような尖った骨が視界に突き立つ。未だ染み出す鮮血の肉溜まり。

 まさか本当に死に損なった?こんなに手足がひしゃげているのに?

 いや違う。

 「俺、おれ……なんで……?」
 「ん?ああそうか」

 何せ久方振りで、などと全く意味の分からない事を男が呟くと、見下ろしていた場所から見えない階段を一段ずつ降って来たかと思うと、やおら話し始めた。無残にひしゃげた肉塊の傍らへひらりと着地した。

 「そうだ。君の命は既に尽きている。覚えているだろう?あの高さから真っ直ぐここまで来た事は」

 細く尖った指で屋上から足元までの導線を描くと、切り立った現実の先端から飛び降りた時の記憶が一瞬にして蘇った。ようこそ、と軽く身を屈める男から咄嗟に腕を引く。抵抗はなかった。さっきの今に起きた事が彼の奇術師めいた言動で事実だったかどうかも曖昧になってしまう。
 だって、俺自身だった筈のものが転がっていて、それでも俺には掃き溜めのような路地裏も住んでいたアパルトマンも何もかも何も変わらずに映っていた。無表情かに見えた顔筋が屈曲する様は背筋に怖気を走らせる。
 こいつは何だ。まるで空想的としか言いのないモノ。だとしたら悪魔か。だが話に聞く有りがちな黒い翼も禍々しい角も尾もない。

 「君はキール・レイン。だったモノだ。覚えているな?」

 何の確認か知りたくも無い問に押し黙った。だった、ああそうだ。確かに自分はもう生きていない。人間の残り滓。成れの果てか。その事実にひたすら目眩だけがはっきりと知覚され、ありもしない空の心臓が早鐘を打った。

 その上何よりも酷いことに。

 「俺はミアレス。ミアでいい」

 「ミ、あレス」

 律儀に名乗る男は一歩踏み出して微笑んだ。
 ああその顔、その目。
 騙されない、俺は騙されない。

 「あ、ああ、あ」

 どうして、彼がここに来て、俺に囁いているのか。
 どうでもいい。どうだっていいんだ。

 もう二度と見ずに済むと思った笑顔を見せて異様に黒く影のように長い手を真っ直ぐに伸ばした。その冷たくも温かくもない手が顎を掬い、撫であげた。搗ち合った瞳に光は差しておらず、白く揺らめく炎の様な瞳孔が呼吸の度輝きを増した。

 「お前、は何」

 飄々とした語調のままに、ミアレスが小さく何かを呟くと目頭が急にかっと熱くなり、視界が滲んだ。途端に顳顬が痛んだかと思うと、急激な眠気に蹌踉めき膝をついていた。

 「まじないさ。どうにもまだ混乱しているようだから」

 混乱。こんらん。

 「はは、あー、あーーあー……——」

 何が違う。
 お前が、お前は言ったじゃないか。

 『悲しんでくれる内は平気』って。

 だから待っていたのに。
 だから

 ダニエ

 ◆

 翌る日の目覚めは奇妙な現実の続きだった。
 こんな姿になっても朝が来る。余りの恐ろしさに跳ね起きた。横には未だに消えない男の姿がある。骨も肉もない祈りで何を叶えたいのか。額に組んだ手を押し当てる彼は敬虔な信徒その物である。

 「よく眠れたかな」
 「……」
 「忘れてしまった?」

 祈りを止め、顔を向ける。
 忘れるものか。忘れたりしない。死んだ筈の人間の前で自分勝手に振る舞う横暴な男。そして、ダニエの生写しのような卑しい悪魔。そう、こいつは悪魔に他ならない。

 「ミアレス」
 「よく出来ました」

 悪魔は何に祈るのだろう、と不意に思う。

 頭上に迫る手を払い除けると、乾いた音が響いた。触れた。不可思議な夢だ。誰かの居る夢なんて長いこと見ていなかった。肉体から解放されても頭痛がするという何の参考にもならない発見を得る。
 目覚めたのは余りに見覚えのあり過ぎる一室だった。寂れたアパルトマンの部屋を見渡した。黴臭い湿気を含んだ陰険な部屋は、寝心地など僅かも考えられていないスプリングの壊れたベッドとシーツがそれぞれ部屋を飛び出した時のままにしてあった。元が何色か分からなくなった壁紙が恨めしげにこちらを見ている。

 「殺風景だ」

 確かにミアレスの言う通り四方を鈍色の壁に囲われただけの空間は家主がどんな生活をしていたのか口を割ろうとしない。強いて言うなら裕福ではないことくらい。清潔とは縁遠いワンルームに舞い戻って来た。辛うじてクッションの死んでいないソファに足を組み、ミアレスが天井を仰ぐ。髪も瞳も全身が黒一色で染め上げられている。一層際立つ姿も、だが少し冷静に対峙するとなると寧ろ空気のように意識の外へと出て行ってしまう。影みたいな存在感だ。けれど拒めない理由は簡単に結論が出た。

 「助からずに済んで良かった」

 当然死体はそのまま薄汚い道端で冷たくなっていくし、人通りも少ないだろうから明後日までは見つからない。もし誰かが見つけてしまったとしたら。いや、この地域の治安を考えるとかえって自然とも言えた。原型を最早留めない腐肉に群がる蝿のような人々を想像するのは容易かった。決して心地の良いものではない。常に街を覆う曇天からの雨で押し流してでもくれたらいいのに。祈りかけて止めた。そんなちっぽけな祈りさえ届く筈はない。あってはいけない。

 「良かっ、た」

 鸚鵡返しに反芻するのが今出来る精一杯だった。胎児に逆戻りしてしまったみたいだ。顎が上手く動いている気がしない。どうしてこんな喜劇が待っていないと思ったのだろう。
 彼に瓜二つの顔を持つ悪魔は徐に立ち上がった。
 すると窓辺にひらりと半透明な羽が舞い落ちた。と思うと拾い上げ、そして躊躇う事なく握り潰してしまった。「穢らわしい犬共め」と吐き捨てて。

 「先を越されずに済んだんだよ」
 「先?」
 「そう。『救い』を餌に魂を奪うモノ。天使に」

 天使。神の使いである。悪魔の口から飛び出したのはまたしても想像していたより空想的な存在だった。

 「奴らは執念深い。人々の救いになると妄信して止まないから」

 ミアレスがさらさらと砕けた羽の残骸を散らしながら微笑んだ。
 曰く天使とは獣であると。
 聖堂に描かれたものとはまるで違った存在で、純白の毛並みを持つ以外は地獄の番犬とそう大差のない姿形をしているらしいのだった。目敏い彼らは足も早く、間に合ったのは奇跡だと笑う。
 なんて憂鬱な奇跡だ。お陰で今もまだ目は閉じない。
 いつになったらここから消えてなくなれる?

 「そら、ご覧」

 そう言って指差した外にはそこかしこにライオンの鬣と身体、鰐の尾、それから猿に似た顔を持つ奇怪で大きな動物が飛び回り、跋扈していた。あれが天使?どれもこれも皆色だけは透き通るような白一色だ。けどミキサーでよく混ぜ切らないまま飛び出して来たような図体に、道行く誰一人として気付く様子はない。中には複数匹が寄り集まって癒着し思う通りに動けないでいるものも見えた。

 「なに、あれ」
 「君を狙う奴さ。あれは俺達を喰らわない。もう長い事死に続けているからね。喰らうのは、死にたて、君のような」
 「俺、」
 「そう。あいつらは君達を喰らって生み出すのさ。新しい天使を」

 「新——」

 ぎぃぁぃぃあぃぃぃぇぇえ‼︎‼︎

 「‼︎」「ああ、気付いてしまったかな」

 けたたましい雄叫びがすぐ側でしていても、ミアレスは至極落ち着き払っていた。そればかりか口の前で指を立てて宥め賺し囁く。

 「君が動揺すると寄って来る」

 だから静かにとミアレスは続ける。頷くけど、何度も何度も四肢で壁を叩くそれが鋭い咆哮を上げる度、どんどん動悸が、早まっていく。早る心臓なんてとうに潰れてなくなってしまったのに。何処にもない臓器が勝手に呼吸を圧迫する。

 「はっ……」

 駄目だ。あの声が駄目だ。耳を塞ぎたくても身体が動かない。全身をずたずたに引き裂く叫びが鼓膜を揺らすともう何もかもかなぐり捨てて一緒になって叫び出したい気分にさせられる。居ても立ってもいられなくなって、頭なんてそこらじゅうに中身をぶち撒けるまで打ち据えてやりたくなる。見ないで、晒さないで。本性を引き摺り出されまいと躍起になる。そうこの醜さを露呈させる彼の背中を俺は

 「大丈夫さ。キール、俺を見て」
 「ぁ、ぇ……っ」

 顔を両手で挟んで無理矢理目を合わせようとする。静かで暗い目に一時逃げ込んでしまおうとした。でも駄目だ。視線は合っているのに合わない。ぐるぐるぐるぐると意識だけが引っ張られていく。持っていかれる。

 「しつこいな。余程君が目当てらしい」
 「あ、」

 気付くと黒い腕の中に閉じ込められていた。ほんの僅かに叫びが遠退き暴れ回っていた音も次第に小さくなった。いいや、暴れていたのは自分の臆病だ。きっと天使は知っている。あの声は隠したいものに火を付けようとする。熱くなって抱え切れなくなるのを口を開いて待ち構えている。

 「安心して。ここには来ない」

 根拠のない気休めに僅かながら安堵してしまった。襲われない理由なんてないのに。死際を嘲笑った男がそれでも一言平気だと唱えてくれると足の震えも止まる気がした。それもこれもこんな風貌が為だ。そうだ、ダニエ。
 強張らせていた力を抜いて、縋るように抱き返すと少し驚いたのか目を瞠った。

 「本当だ。信じて」

 疑っていると思ったのか困ったような表情を作る。悪魔の持ち出す信用がどんな目的なのかもはっきりとしないのに、その歪んだ顔をされると全て下らなく思えた。
 俺は消えてなくなりたかった筈だ。でも、信じて欲しかったのは同じだった。

 「わ、かった」

 縋って疑って、それでも最後には戻って来てしまって。
 そうだ。だから許せなかった、全部が許せなかったんだ。

 幾分か落ち着いた自分を撫で、額に口付けを落とすとミアレスは横抱きに身体を持ち上げた。急速に視界が高くなる。落ちる、と思った。足場のない浮遊感に気が気でなくなる。慌てて支える腕にしがみついた。動揺、はしていない。すると彼らが来てしまうから、しないように。

 「いい子」
 「ん……」

 もっと、もっと駄目じゃないと言って。俺をひとりにしないで、置いていかないで。
 先に行ってしまわないで。
 全てを上げる。上げるから側に居て、ずっと。

 でないと。

 「少し遠くに行こう。あいつらの救いが届かない所まで」
 「届かない、ところ」

 「ああ」

 誰の救いもない場所。
 つまりそれは、 ゲヘナへの誘い。

 『キール、また寝てたの?』
 『     』
 『駄目だよ。俺が困るもの』
 『     』
 『許さない。だからほら、早く起きて』

 辿り着いたのは古ぼけた家の前だった。
 すっかり荒れた庭とサンルームが出迎えていた。テラコッタ色の三角屋根を被った小さな一軒家。所々剥げた外壁の隙間からは蔦や蔓草が顔を覗かせていた。何年も忘れられて長い事好き放題に日を浴びて育った楡の木がポーチ一面を落葉で埋め尽くしている。もう地面は見えないし、これからも誰かが目にすることはない程に隙間は失われている。

 「どうして」

 誰にも話したことのない場所だ。二人になってからも誰にも伝えた事はなかった。寂れているとダニエには言ったけど俺は紹介してくれた事がとても嬉しくて、だから綺麗だと言った。見る目がないなぁと、彼も横で笑った。

 ここにあの獣が来ないって?訝しんでもあの叫び声が頭を過った途端言葉にはならなかった。嫌だ。もう絶対に見たくない、聞きたくもない。居なくなれ、埋もれて、消えてなくなれ。

 口の中で何度も唱えている内ミアはいつしかすぐ背後に立っていた。護衛のように畏まったその態度に慇懃さはない。背丈は幾らも違わないのに、傍に並ぶと手を繋ぎ指を絡ませて来た。薄い。肉も骨もないみたいな手触りだった。

 「……?」
 「もう暗くなる、中へ」

 そんなはぐらかし方があるものだろうか。彼以外に知り得ない事を知っている、彼とそっくりな紛い物が唆す。本当に?本当に紛い物だとしたら、どうしてこんなにも同じ声で喋って同じ眼差しで俺を見るのだろう。緑がかった尖った瞳で。以前にも、前にも。

 「前は、よく……」

 銀色の髪が風に靡く。古いソファに並んで座って、朝までずっと一緒に起きていた。何を話していたかなんて覚えてない。そんな事はどうでも良かった。ただ隣で息をしていられるだけで満足だった。

 「よく?」
 「ここに呼んでくれただろ、覚えて……」

 あれ、おかしいな。ここは彼の家だったのに、悪魔の家なんかじゃないのに。
 リビングに転がっている空の餌入れは当時居座っていた野良犬が愛用していて、それで古いから新しいのを買ってやったらどうかと相談したのだ。でも使ってくれなくて、結局前の物に戻した。贅沢な奴だって二人して笑って。……犬?
 飼っていただろうか、そんなもの。

 「なぁ」

 男は振り向かない。呼び掛けても聞こえていないみたいに。本当はそんな名前じゃないよと告げているみたいに。
 中へ促される。至って普通に、何の変哲もなく扉を押す。何の抵抗もなく開く。鍵が掛かっていない。空き家になってしまったのだろうか。いつでも人気がない土地だったから、何も不自然じゃない。そうだろうか。
 どうぞと招かれた室内は予想に反して整っていた。
 錆び付いて開かなくなってしまった天窓も急な傾斜の階段も地味な色味のラグも同じだ。室内では時が止まっていた。

 「上にベッドがある。疲れたろう」
 「まだ眠くない」

 子供染みた答え方だった。だけどもう何度も眠った。眠り過ぎていた。これ以上目を閉じたらいつか開かなくなる。元々はそれが望みだったのに。睡魔からも逃れられずまた夢を見でもしたら本当に何が嘘で何が真実なのか分からなくなる。分からないのは嫌だ。理解出来ないものと向き合える程自分は強く出来ていない。

 「それは残念だ」
 「え、ぁ」
 「君がここで良いと言うから」
 「待っ……⁈」

 「待たないよ」

 すると突然ソファに押し倒され、目の前が夜になる。真っ暗だ。でも室内はまだオレンジ色の中にいる。抑え付ける力は強く容易に解ける気配はないのに、声だけが柔らかい。何も酷い事はしないと言って。訳が分からなくなる。

 「やだ、なん」
 「やっと捕まえたんだ。逃げるなんて言わないで」

 逃げる?そんな事出来ない。そんな事は、許されない。
 慌てて首を横に振ると、またあの困った表情。

 「『キール』」
 
 呼ぶ声は歪んでいた。

 ずる、ズッ、ずリュッ

 熱い、なんで。

 「あっ、ぁ、ぅ……っ」

 「息を止めないで、そう」
 「はっ……ん、ゅ……っぁ」

 繰り返される粘膜への往来。
 一体、何をされているのだろう。視界が明滅している。
 苦しいのにもどかしい。助けて欲しいのに、もっとと強請る欲望に逆らえない。

 「みあ……っ」
 「ん?」
 「きもちい……?」
 「ああ」
 

 頭がぐらぐらする。何も分からない、もう感覚も伝わらない回数重なった身体の隅々まで貪られているというのに、頭の奥が冷えていく。怖い。

 ズリ、ズッ、

 ズヂャッ

 耳元まで来てやっと分かった。すぐそこまで来ていたのに気が付かなかった。

 目の前に転がっていたのは、白い動物。

 「ああ、まだ動けたのか」
 「あ……ぁぁ」
 「せっかく綺麗に食べてやったのに」
 「た、べ……」

 翼は捥げ、首から上のない獣が呻いてる。欠けた頭部の何処かが気道に繋がっているのか時折途切れ途切れの掠れた、鳴声とも付かない音が漏れる。しかしその断面から新たに何かが形を成し出でようとしていた。
 二つの凹み、その下のとんがった膨らみと柔らかく並んだ……唇のような。人の、人の頭がぬるぬると内から内から新たに生えて来るのだ。
 その内の一つには、見覚えがあり過ぎるもの。

 『そう。あいつらは君達を喰らって生み出すのさ』
 『あいつらは君達を』

 『君達』

 「ああああああ」

 遅かった。どうして聞いてしまったんだ。どうして気付いてしまったんだ?
 彼は救われてしまった。
 誰が彼を手にかけたのか、悪魔?なら俺もそうだろうか。怪物、奸佞邪智の白き御使を。

 「だにえ、ダニエ……何、どうし……っ‼︎」

 獣はまだ脈打っている、潰れた喉笛を裂いてあの悲鳴が聞こえてるんだ、だから黙って。

 「キール」
 
 ミアの声、いやどちらの声?

 これが、彼?

 「違う、お前じゃない……っ」

 ダニエはここに居る。こんな化物なんて知らない。
 俺を置いて行く奴なんて知らない。

 「ぎぃ……ル……っ……」
 「やめろ!嫌だっ、来るなぁっ‼︎」

 「キール」

 「いやだ…………っ」

 魂を喰らう悪魔。天使の救いから守る邪悪の、差し伸べる手に汚れた手を伸ばす。
 ダニエが醜く鳴いている。ミアは笑う。楽しそうだ。なら畏れる必要が何処にある?

 「ミア、ミアぁぁ」

 無言のまま頬を撫でる悪魔に縋った。

 「俺を見捨てないでぇ……」

 だがいつか禍々しい彼が羽を広げて、救いを与え賜うと言うのなら俺は

 「見捨てないさ、永遠に」

 ああまただ。また辛抱が足りなかったらしい。
 かわいいかわいい、可哀想なキール。残念なからダニエは捕まえ損ねてしまったけれど久し振りの晩餐にはとても満たされた。
 死後の救済を求めながら迷える魂は皆一様に天使が奇怪な動物になるという。救われ損ない、と便宜上呼んでいた。彼は特に顕著だった。
 そして奴らも俺達も根源は同じ。呆れるほど容易く篭絡出来た。

 自ら救済の使徒と成り果てるか、糧とし食らうか。魂の使い道が違う以外に差異などそう多くはないのだから。
 さぁ、もう一口頂くとしよう。壊れた君は格別の味がする。キールは恵まれている。こんなに幸運なことはない。
 幻の家は崩れ始める。後には無機質な空間だけが残った。

 肉塊が真っ赤に熟れた口腔を蠢かせ、囁いた。

 「大丈夫さ、俺は決しテ

 
 キ
 み

 ヺ」