なるべくなら寒い夜に

 どこへ行くのだろう。離れて行くならなるべく寒い夜にして欲しい。そうして色んなことを言い訳にしたい。
 ちりちりちり。ポケットでは合鍵が鳴っていて玄関はもうすぐそこにあるっていうのにどこへも行けなくなってしまうじゃないか。擦れた靴の踵を引き摺って追い掛ける背中はどんどん遠去かっていた。足はえーなあいつ。「おい」


「んー?」
「何忘れてんだよ」
「忘れないし。煙草切らしてただーけ」
「持ってる」
「いいよ。それホープだろ」
「変えたって言ったろ、先週」
「そだっけ?」
「お前、」
「火ある?」

 安ライターの残り僅かなオイルで後何回交わせるか分からない会話をして、立ち止まる。


「点けてよ」
「何様」
「彼氏様」
「……元だろ」
「そうだった」

「なぁ」
「んー?」
「鍵。返すつってんの。態々来たし」
「あー、いいよ」

「なんで」
「だってお前寒がりだし、出不精だし、ワンコールじゃ絶対出ないしよく物失くすし雑だし」
「今更何、」
「だからいいよ。持ってっていいから」

 紫煙に紛れてぼやく目元に射抜かれた。裏切り者、と言いたげな瞳を真正面から受け止める。
他に出来ることはなかった。

「悪かったな。こんなんで」
「はいはい」

 もっと、もっと寒い夜であったら手も繋げたろうか。行き場を無くした指先が、冷えた鍵に触れた。