これだけあってまだ足りないか。先日同僚の葬儀に出た折に君を見かけたのだ、金なら出そう。くすんだ山高帽はブリムをへたらせて男の頭に渋々乗っかっていた。仕方のない主人だが、手足がなければ逃げ出せもしないのだ、すまないねといった風に。とは言え雇われる立場の少年も健全な手足が揃っていながら何故か逃げられない。男の言うそれは、もう何ヶ月か前の仕事だった気がするが。
泣き女をしている女がいた。彼女が母と知った日に女は泣かれる側になった。
少年は貧しい。だが無為に吊り上げる真似はしない。だのに、斜視がちの幾分かずれた眼差しにうんざりする。あんまりに相場知らずの相手をするのにも辟易してしまう。こんな大金を出してまで弔問の少ない死人がどんなものか頼まれる都度気にならないと言えば嘘になる。何かの間違いで抜けた男が遣わされただけであれば追い返せもしたが、妙な慈悲深い、かといって博愛者の持つ気味の悪さにも欠けた男はまた金額を上乗せした。
正直これだけあれば少しは生き延びられる。でもそれだけじゃ割に合わない。考えてもみろ。大金なんか持っていたら似たような連中の袋叩きに遭うのだ。噂はすぐに広まってやがて矛先を変える。転がり込んだ都合の良い話に食い付いた先にトラバサミをチラつかされて手を出したらどうなるか分からないような、酷い世間知らずじゃない。
今回は丁重に断らなければならない。なるべく角を立てず、上手い話を断ったのは何故かと横暴な連中に疑われることのないよう慎重にだ。当然金は欲しいが金の為に愚を犯したくない。襲われない程度に、商売道具が枯れない程度に、食い扶持以上を望まないようにしておく。その矜持が、人として最底辺を這う少年の尊厳を守っていた。
「泣くと喜ぶ人がいる」のは何も不幸なことじゃない。埋葬される頃になって、誰にも惜しまれず、泣かれもしない彼ら彼女らがしっかりと埋まるのを見届けて分かった。気付いたのだ。きっと彼らは喜んでいる。
しかし結果的に少年は雇われることになった。粘り負けしてしまったのだ。
喪服を纏う最前列は俺と使いの男だけ。かに思われたが、墓前には血縁者とも近親ともつかない数人が並んだ。特に一番に若い青年の手持ち無沙汰は明らかだった。彼にとっては儀式にさして意味はない。その無関心さが憎かった。少年にとっても彼にとっても死者は歩いていようが埋まろうが比較するに値しない。煤けた墓地の上を滔滔と流れていく神父の祈りの後で泣くのが仕事と言って、憐れみを誘う目的で泣けという注文は本当に骨が折れる。無駄に煩くせず、滑稽にならないように、かといってささやか過ぎずさめざめと、少年は見ず知らずの故人の為啜り泣いた。
少年の働き振りがどうだったかは金を受け取った後から言えばまずまずといったところだったろう。けれども少年は後悔した。
無礼なことをした。自身は彼にとってこの上もない無礼者だったのだ。
葬儀は滞りなく済み、三々五々に僅かな弔問客が捌けていく。喪主が誰かも覚えていないような葬儀の後で、少年にとっての大金を受け取る。信心なんて欠片もない式を終えて、墓地には青年の背中だけが残されていた。何かを待っているような、でも何処か取り残されたような、少年が見たこともない姿で彼が立っていた。そうして抱え持って来た花束を屈み置いた。
十字架の下に備えた花束は花屋で買った物にしては嫌にこぢんまりとしていた。普通花束というと、供えるものであれ華やかに束ねられているものじゃないか。はっとして金をポケットに捩じ込む。関係ない。どんな物を墓前に供えようが他人の自由だ。口を挟むより、後はこの金をどう隠し通すかだけ考えていればそれでいい。
それが、どうだろう。青年は貧相な花束の包みを矢庭に剥いで、十字架の上に撒き始めた。ひょっとするとその為の花束は、店で売られていたものではなくて庭先で育てられたものだったのだろうか。撒き終わった青年は天を仰いで、それから神父が手向けたのと同じ祈りを静かに捧げていた。同じ筈の、祈りを。
彼は泣かないのではない。泣けないのでもない。振る舞いはいつも嘘を吐く。
悼むというのはあの背中のことを言うのだ。寂寞が、彼の隣にはいた。
「君かな。義兄さんが雇ったっていうのは」
「あ、え……あの、はい。この度はお悔やみ申し上げ、ます」
「どうも」
「喜んで、いると思います、きっと。亡くなられた人」
「——ありがとう」
青年とは去り際、軽く手を振って別れた。少年は取って返してくるや今し方受け取った金は全て墓前に揃えて置いて来た。
一体どんな人が、あの人を残して逝ってしまうのだろう。一体どんな風に生きて来たら、あんな風に送り出せるのかは未だ辿り着けない。少年は後悔する。
ああいう死に際に涙は要らない。要らないけれど、ああでも。
もしその人の為に流せたのなら、いい。
遠い夢を見るような、無泣の代償はやけに晴れやかだった。