うそつきのてんきあめはあきにそそぐ

 西に落ちる夕日を庇うように薄雲の群れが過ぎ行く。烏が鳴く代わりに鴎と、そいつらを追い回す鳶を都合の良いように取って、二人は帰らないでいた。とっくに退社して後は電車に乗るだけの人混みから抜け出ると、駅から続く商店街を歩いている。
 時報の鐘が鳴るのは午後五時の合図。市内の放送無線は河川の増水時には防災だの、真昼間には徘徊者だのの知らせを流した同じスピーカーから、それまでよりも三十分前倒しに時報が流れた。

「早くなったなぁ。秋って感じ」
「お前の季節感そこなの」
「ぶっちゃけると秋ってすぐ終わってるイメージ」
「まぁそうだけど。すぐに戻ってるだろ、時報」
「それもいつの間にやらなんだよなぁ」

 自分だって秋らしさというものを知っている訳でもないし、冬に向かう時節は、単なる寒暖のインターバルとしか思えなかった。休憩時間、というのがまさに的確だろう。ここは乾季と雨季の繰り返す国とは違う。思い出の中に秋の居場所がないのは、近所の公園にある銀杏の並木に満足している所為だった。ひょっとすると一面銀世界ならぬ銀杏世界になる程の量にもなる並木道が貫く公園で、まだ銀杏の幹に腕一杯に回して半分にも届かなかった頃はそこら中に散った黄色い海を掻き分けたり、抱えられるだけ抱えて頭上から撒いたりして、それで終わる。だからどちらかというと、記憶の秋は赤ではなく黄金色に染まっていて。
 だからどうということもなく、あてどなく歩いている内に時報が鳴り止むと、肌寒い路傍の上でふと潮風が吹き抜けていた。日暮の秋はまた一段と楓色に様変わりしていた。塩辛い風で巻き上がる浜の砂塵が悪さをして、眩しさに細める目は痛みも伴っている。
 漸く開けた視界には渚が広がっていた。

「約束してたんだろ。良かったんだ」
「え?ああ、あれな。いいよ、多分大袈裟なだけだろうし。寒暖差アレルギーってやつ。やだな、平気だろ」

 平気かどうかの自己申告は概して信用していないし、それを知らない奴ではない。

「聞いたことない、そんなの」
「はいはい、それでいいよ」

 まったくもって良くはないが、一度も振り向かないのには、食い下がる気も失くしてしまう。そこで打ち止めにしてくれ、と煙に撒かれてそれっきり。口を出すのは別に誰でもなく自分が気がかりだからで、だからそれっきり。
 そうこうしていると薄暮れに雨気が立ち始めた。潮風の合間に漂って、鼻をつく匂いには向こうも気付いたらしい。

「そろそろ雨が降るって」
「この辺りじゃ傘があったって凌げないだろ」

 寂れた船屋に飛び込めばいいのだろうが、錆臭いそこで雨宿りするくらいなら急いで引き返したいのが本音だった。こいつが見たことがあるか知らないけど、そういった岩縁に近い場所にはフナムシがわんさか湧いていることもある。雨以上にそっちに遭遇する方がぞっとしない。

「そう?じゃあ……」
「ちょ、え」

 夕景に轟く波濤を割っていく背中が見える。
 それじゃあも何もなかった。

「おい、危ないって!」
「あー、すっげぇこれ。しょっぱい」
「当たり前だわ」

 果敢というか無謀というか、どういうつもりか知らないが濡れ鼠になるのも厭わず進んでいく。水遊びにしては度が過ぎている。ところが慌てふためいたのをいいことに、頻りに飛沫を上げながらしたり顔になった。

「どうせ濡れるなら同じだろって、ほーらお揃い」
「溺れるっつーの、ふざけんな。どうすんだよ帰り」
「大丈夫大丈夫」

 深みの手前に差し掛かった時、嫌な感傷に小突かれてしまって咄嗟に前に出た。

「待って」
「うそつき」
「は?」
「ここまで来てみろよ。そしたら許してやる」

 何を許すというんだろう。何が嘘なのだろう。待って欲しいことが?行って欲しくなかったことが?

「あー、ははっ見ろよこれ」
「なぁ、今度……」
「あー?きっこえねぇって」

楓色の海に溺れた記憶に、居場所はあるのだろうか。流される前にネクタイを引っ掴んでいたら、続きは潮騒が覆い尽くしていった。
結局その後雨気は雨気のままで終わり、少なくともベタベタに張り付いたシャツの不快さは互いの間でだけ秋らしいものの一つになってしまったのだった。