後先

 『「無関心」でいてあげるんだから、騒がないでよ』

 殺意より強い感情は湧かなかった。殺したくはならない。只死んで欲しいという冷ややかで他人行儀な諦念を抱く。視界からではなく、存在毎無くなって下さいと。蝿を手で払う様な、倦んだ感覚。
 動機は、幼稚な話だ。精神を病んで薬漬けの兄。その「友人」だった彼らが言った。それだけ。
 兄から彼らを友人だと聞いた事はただの一度も無かったけれども。原因を察する事は出来た。
 無関心?
 誰が、どの口で。言うのだろう。都合の良い台詞だなぁ。
 醜悪な好奇心でも、他人に興味を抱いたら無関心になんかならないというのに。
 非なんて何処にもない。当然だ。何故なら誰も自覚してなどいないから。問い詰めた所で何の意味もない。馬鹿馬鹿しい話だった。
 「そうでしょ、兄貴」
 
 可哀想に。
 何の意味もない、浮薄な言葉。何の感慨も抱けない。
 ボロボロになり深爪気味になった指に黄ばんだ歯を突き立てブツブツと日がな何事かを呟いている、丸まった背中に笑いかける。何処の誰も、笑えるくらい平易で同じ事しかしないのだなと、淡白な感想は暗い部屋に溶ける。
 つまらないね、皆。誰も彼も。そうとしか感じられない自分も。一向に減らない処方箋を床から拾い上げた。

 「今日の薬はいいの?」

 砕けたコップの破片が足に刺さる。

 「……要らない」

 くぐもった声は心無しか眠そうだ。昨日も寝ていないようだった。当たり前か。

 「でも飲まないと」

 直ぐ背後で新しくガラスの砕ける音がする。続けて聞き飽きた怒声。

 「欲しくない」
 「これ以上悪くなりたいの?」

 半ば詰問する様に言ってみても兄はこちらを振り返りさえしない。状況判断、存在の有無。
 損ねすら、最早出来ない。

「ならないよ、もう」

 どうせ飲んでも変わらないだろうなんて分かり切ってるよ、そんな感じ。
 諦めではなく何と言えば、この下らない感情を形に出来る?至極単純な捌け口。この心。空になった言葉。

 「何?」
 「いや。なんでもないよ」

 でもやっぱり、悪くはなるんだよ、兄貴の所為で

 俺達の所為で、周りが。
 大概、血の繋がった兄弟なのだなと感じるのはこういう時。無関心だから。自分にも、周りにも
 興味が無いのだ、生来から。気にもならないし正直関心もない。大抵それが誰かにバレた時、こういう事になるのだ。何て分かりやすい踏み絵だろう。飽きないのだろうな。同じことばかりで。皆。

 「ほら、早く風呂入らないとまた騒がれるよ」

 緩く手を差し伸べる。

 「ん、」

 億劫そうに立ち上がる。すると掻き傷塗れで酷く頼りなく細い脚が縺れて、兄の手が空を切った。
 ドタン、がシャンと騒々しくすっ転び、散らかったままだった硝子が右眼に刺さったようだ。慌てた様に目元を覆う兄。それを眺めている自分。

 秒針が白々しく進む音がする。

 「痛い?」

 凡そ人らしくはなく
 しかし傍観していた人間によく似合う台詞を掛けた。

 「痛い、前、見えない」
 「……そう」

 余程大きい破片でも刺さったのか、覆いの手は赤く染まっている。失明したかな。どうせ片目だ。それに。

 「多分兄貴は片方見えないくらいで丁度いいよ」
 「そうかな」
 「うん。だから風呂行こう?早く綺麗にしよ。血があると煩いから」

 何がだからなのか、誰もが考えようとはしない。
 バタンガシャン、遠くでけたたましく扉が閉まる。煩い。

「見えないから、足元」
「はいはい」

 垢だらけの手を取って、薄暗がりの廊下を導く。前は一カ月空けたこともあったから、それよりはまだマシだろうと言い聞かせる。

 「傷、見せて」「あー」

 奇声を発しながら凭れ掛る兄。 重い、これじゃ傷が診られないのに、始めから怪我などしていなかの様な反応に頬が緩む。大丈夫だ。今日も健全に壊滅的な兄で。安心しているのは、そんな手遅れで浅はかな本能。

 「……お前もどっか、怪我したの」
 「どうして?」「痛い?」
 「痛くないよ、何処も」
 「そう」

 「……うん」

 首を傾げる仕草は何処かあざとく、消毒する手を止めそうになったけれど、我慢して。取り敢えずガーゼをしたけど、大分不恰好になった。応急処置だから早くどうにかしないとな、と頭の物覚えの悪い部分で考える。

 「終わったよ」
 「ん」
 「このまま入って。滲みるかもだけど」
 「もう痛くないからいいよ」

 凄いね、兄貴は。

 「ならもっと痛い事する?」

 ふらふらと彷徨っていた視線が刺さる。どうだろう。勘違いならいいけど
 少し期待していそうな瞳に自分が映っている。
 何それ。何のつもりだよ。

 「好きにすれば」

 あ、そんなこと言う?

 「じゃ、先入っててよ。色々持って来るからさ」
 「……何すんの?」

 ひーみつ、とはぐらかして、目当ての物を探しに脱衣所を出た。
 自室、兄の部屋、クローゼットの奥、そして台所。「まだぁ?」、と幾分明るい声に、

 「今戻るから」

 ゆっくりと、血以外の何かを流す生の死骸。
ぴったりだなぁなんて自賛しながら、早足で戻る。
後先の知れない関係に酔いながら。