轢死

 しくじった
 しくじった。

 「あらら、結構やったなぁ」
 「大丈夫だろ、多分」

 「おい、骨折れてないよな?」

 下らない会話が頭上から降り注ぐ。どうせその上からまた新たに築き上げる色鮮やかな傷のお陰で、そんなもの杞憂だと知れ。それで満足いくまで嗤え。

 「ぶっは、折っちゃダメなのに焼くのはいいのかよっ」
 「根性焼きぐらいなら良いんじゃねぇの」

 泥塗れの靴が醜く切り揃えられた髪を踏み躙る。冗談じゃない。あれは煙草じゃなかった。
 あんなもの焼鏝だ。小火寸止めの火で炙った鉄パイプで殴るのは、こいつらにしたら根性焼きと言うらしい。成程一つ賢くなった。だからその足をどけ「何処見てんだよおい」今度は髪を引っ掴まれ、同時に盛り上がる観客席。
 中にはそいつらのツレのツレというような奴らも混ざっていた。鬱陶しい、消えろよ。

 「生きてんすかコレ?」
 「さぁ?死んで困る様な奴が殺されるわけないだろ、こんなとこで」
 「違いねぇ」
 「やめとけよ、まだ売れる。傷物にすんな」
 「テメェはその腐った目ん玉でも売ってろカス」
 「は?殺されてぇのかクソ野郎」
 「っはははは、じゃ俺内蔵貰うけど良いよな?」

 後から後から後から、蛆虫が湧いてくる。うじゃうじゃわらわら。これは何の茶番だったっけ?昨夜観た夢の続きが、視界の端にちらつき始める。
 ああそうだった。あの夢か。
 続きはもう見れそうにないけれど。

 「 黙れ 」

 ああ、来た。主賓の登場だ。主役の登場に、乱雑に掴まれていた頭は無造作に地面に叩きつけられた。何処かで何かが切れた音がした。

 「ああ? ……っんだよ、おいどの面下げて来てんだてめー」

 観衆の一人が詰め寄る。ながらも、その態度に悪意や威圧の気配は微塵もこもらない。遅刻した友人を咎める程度のそれは挨拶の役割すら勤めていて感心する。
 此方が同じことを吐いてもこうはいかない。少なくとも、殺意以外を込めずには出来ない。

 「おい——起きろ」

 寝てる訳が無いのに、起きられる訳ないのに。
 そう言う奴は横たわった脇腹を蹴り上げる。肺に空気が詰まって、けたたましくなる観客はいよいよ最高潮の様相を呈している。頭がガンガンとがなり立て続けていて真面に脳が働かない。

 「死んだんじゃね?さっき誰か殴ってたし」
 「じゃあ穴にでも突っ込んどけ」
 「流石にそれはねぇわ」

 軽々しく宣うそれ達が笑ってる。口々に、泡が吹くようにぼこり、ぼこりと聞こえる、湧く

 ——してるの

 声が

 ……声?

 だれ

 「あ?」

 奴の声がまた一際低くなった。それだけで辺りは静まり返る。
 一瞬、飛びかけていた、嘘みたいに、夢のような一瞬が霧散して、引き戻される。口の中は鉄の味塗れで、意図せず眉間の皺を深くする。冗談だっての、と嘯く男の声は震えていて先程の軽口とは正反対に怯えているのが分かる。釣果を囃し立てていた連中は皆、既に目すら合わせようとはしない。実際、男の声には訳もなく人をねじ伏せる圧があった。

 例えば人はそれを神と崇め俺もそいつを人とは呼ばない。

 口数の極端に少ない奴、という印象しかなかったその男が今や王様気取りの支配者面をぶら下げて芋虫のように蹲り呻く自分を睥睨する。睨め回されている様な感覚に、コンクリートに顔を埋める。砂利と小石が肌を削った。

 見るな
 そんな目で、俺を見るな。

 「……後はいい。失せろ」

 男の発したそれは命令でも指示でもなく、歴然とした遂行文だった。男が放った意味は、常に実行を伴わなければならない。拒めば、

「おいおい、礼もなしかよ?偶には分前の一割や二割くらい—— 」

 あ

  周囲が悟った瞬間と空気の裂ける音がしたのは、もう殆ど同時の出来事だった。男の手によって、灰色の景色に色彩が増やされた。

 「ひゅぇぅッ 」

 とても奇妙な鳴声と共に、出来あがったのは一つの残骸。

 人だった筈の何かの、残り滓、肉塊。

 目の前で弾けた人の塊が、無彩色の瓦礫の上に飛散し一帯を鮮やかに染め上げた。
 べちゃり、と赤い水溜りに力なく腕が落ちてぱっくりと裂けた喉頭の奥から絶えず赤い泡をボコボコと吹き出しながら、緩慢に地面を濡らすそれを、ただ見ていた。
 俺も、男も。温く、赤に染まっていくその世界を。

 「わっ、悪いこいつ新入で」「っの馬鹿、おい行くぞ——」

 誰かが誰かに自身の為に謝って、そして人の波は引いていく。遠くなる足音の後、遅れて鼓膜を揺らしたのは金属の落ちる硬質で不快な音。

 「っ……、はは、」

 ざり、ざりっ、と一歩ずつ、断頭台が近づいて来る。
 手から取り落としたらしい大振りのナイフを男が拾い上げる。屈み、再びそのギラついた双眸が現れる。それから、掌に収まっていたナイフが次に此方に刃を向けた時には何の迷いもなく本能的に目を瞑っていた。
 ダンッ‼︎
 「避けんなよ……なぁ?」

 男が先程ギャラリーに見せつけていた人形めいた無表情は完全に消え去り、今や口角を吊り上げて笑ってる。

 見上げる男の顔が、すぐ近くにある。
 突き刺さる。貫かれている。
 倒れ伏した、人だったものの腕が。振り下ろされたナイフの生贄は男へ、称賛の拍手代わりにとまだ温度の失われない血を流した。だくだくと頬に、額に、瞼の裏に。人の血という血が、べったりと肌を覆う。
 何がおかしいのか、この獣は屍肉から溢れた赤を見て笑みを深くする。

 「はっ、っっは、」

 態となのか、それとも偶然なのかは分からない。狙いを外した殺意が、ずっ、ずっ と引き抜かれるのに合わせて肉が蠢く。切り捨てられた蜥蜴の尾に似た動きで。まだ生きている。まさか、そんなはずはない。
 蹲る俺は、切られてもいないのに殆ど呼吸らしい呼吸もままならないというのに。このまま放って置けば簡単に、呆気なく手放してしまえそうだというのに。
 瞼が、唇が、痙攣して声なんて出てこない。

 人語を解す筈のない犬が、舌を突き出して喘ぐ姿とどこにも違いなんてなかった。
 男はそれを見て、何処かつまらなさそうに鼻を鳴らした。呆れるか見限ったかにも見える仕草の後に、徐に腕の拘束に手を掛ける。

 「……っ……⁈」

 目を白黒させている俺を他所に、きつく戒められていた腕が解放され、身体の上半分だけが自由になる。
 そして動かせる方の左腕を、まるでまな板に食材を乗せるように掌を上にし、俺の顔の横で抑えつけ始める。想像に、怖気が走った。
 やめろ やめてくれ
 男の口角が再び弧を描き、歪む。今から何をするのか当ててみろと、そんな風に。あてがわれるナイフの腹に、怯えた表情が反射している。鋒の数ミリ先にある肌は、まだ肌色のまま

「ゃっめ……、っぃ……‼︎」

 やっとのことで搾り出した懇願は全く意味を為すことなく

 「——セーフ」

 ぎゃりり
 ナイフの引き抜かれる音が耳のすぐ脇で聞こえる。ふっ、と空気の緩む感覚がしたと思えば、
 ダンッ‼︎

 「セーフ」

 三度目の死刑宣告を免れ、思考の失いかけていた頭が思い出す。
 男がしていたのは、 ナイフ・フィンガーゲームだった。自らの手を自らナイフで勢いよく突き刺す。勿論視線は的へと向けたまま。そして指と指の間へとナイフが刺さらなければ。眩暈のするそんなゲームを男は今俺の腕でやっている。焦点が合わない。舌の根も、歯の根も合わない。思わず、男の目を真正面から見上げてしまう。何を映してもいない。網膜が焼付けるに従って捉えた男の瞳は只澄んでいた。

 ダンっっ‼︎‼︎‼︎‼︎

 「ごっ…… あっぁ、‼︎」

 何処からか酷く醜悪な呻きがして 体を襲う衝撃に視界が白飛びする。
 今度こそ、銀色の先端が肉に突き刺さる。骨を過ぎ掻き分けて刃は身体を過ぎて行く。男の殺意が捩じ込まれる。

 「アウト」
 
 舌を噛み千切りそうになる痛みに目の奥が白む。カメレオンのように、瞳孔が別々の方向を向いてしまったような、分離していく世界に胃液が込み上げる。柄を握り込んだ指がゆっくりと弛み、そして力の込め直されたナイフが抜かれ、突き刺した手を離れて行く。肉を貫いた鈍色を見る暇も、なかった。

 段々と感覚も失われていく左手に、体温が
 男の唇の感触がした。

 いしてるの

 主君に忠誠を誓うように指先を取る、愚直な祈りを捧げ跪坐くのに似ている。

 「…… っぇ、」
 
 だから気付けなかった。気付けなかった。

 腕を引っ張り上げられ、自分の視線が急激に高くなった事も。取られた手を再び刺し貫いた赤黒いナイフが、今度は男の心臓ごと深く、深くその肉を抉った事にも。瞬きをする暇も与えられない束の間に。
 指と指の隙間を伝う、まだ温かい濡れた感覚もまるで現実味のない風景。

 「 っっっ⁈」

 己が心臓を貫き尚、男は笑みを崩さないまま白くなっていく唇から鮮やかな血液を零して笑っている。まるで壊れたラジオのように。

 「はは はは は 」

 なんだ これは

 温かい。まだ血に 温度がある。
 ぬぢゃ、 と不愉快な感触を知覚するより早く

 けたたましい轟音と共に、牢獄の檻が閉じ切られる。

 耳鳴がして

「たす かった、消えた だろ」

 
 だれがだろう
 なにがだろう。

「女の こえ 」

「……え?」

 男の答えを聞いてもそれが崩折れて赤い水溜りに沈んでも
 

 ——いしてるの

 耳の奥で 影の隙間から残響する声が 薄れて消えて無くなることは、なかった。