瘡蓋

 後輩×先輩

 瘡蓋は塞がっても その痕は当たり前の様にその手に入る。塞がった筈なのに、塞がり切らない後悔の痕になって、煩わしさだけを置いて行く。
 もう沢山だった
 だから 喚かないで、もうすぐだから。
 もうすぐそこに。

 (あー、つめて)
 「口閉じてろ」

 あーだのゔーだの勝手に溢れて来る喉から漸く血の味がしなくなった頃に頭上から無感動な声がする。それだけの声を出しただけで脳天から爪先まで馬鹿みたいに骨が軋んだ。
 「かけるよ」の後間髪入れずに微温湯が降って来る。その温度は低くはないのに、やけに冷たく感じるのは妙な感覚だった。
 身体中ありとあらゆる傷に沁みてそれはもう痛くって、それっぽさをアピールしてみるも見事にガン無視。熱湯で殺されかけた時よりはまだマシかと置物みたいになって暫くされるがままになっていた。浴室の床一面茶色の水が流れていくのが見えた。
 汚ね、と目を閉じる。

 「寝たら殺すよ」
 「おきてまふよ…​…​」

 口を開けた途端に水が入って来てアホみたいになる。殺されかけた奴に向かって平然とそんな事を言うこの人は、どうせ自分で殺す気なんてさらさらないのだ。俺は知ってるし、割と本気でどうでもいい。死んだ後のことなんて生きてる奴が考えろ。

 「珍しいな。何処も折られてないの」

 そっすねと返そうとして止める。そんなにしょっちゅう折ってたら医者代馬鹿にならなくね、とかそんな事を言うつもりはない。少し間を開けた事で訝しんだのか出っ放しだったシャワーが止まった。聞いてんの?って具合に。別に聞いてなくても関係なさそうな気もしたけど。

 「がんばったんで」

 死なない程度に、と。俺に死んで欲しい奴なんているんだかいないんだか知らないけど。少なくとも殺されて欲しいって人は一人いるらしいから何となくむかついて言ってみる。まぁ次は腕折ってるかも知れないし、言った分フラグ立てただけかも知れない。タダほど怖いものはない。明日は無事でいられるだろうか。無理そうだな。

 「そう」

 と心底興味のない答えと同時に何故か肩口をぶっ叩かれた。途端腕に激痛が走り流石に無視出来ず痛みに身体をくの字に曲げて唸った。抑えても止まらない。え嘘でしょ、回収が早すぎる。というか折れてはいないだろ、それくらい自分で分かる。

 「あっだ…​…​」

 見ると腕の肘辺りから真新しい血液がだくだくと流れている。こんなとこ切られてたのか、気付かなかった。

 「何自爆してんの?」
 
 馬鹿なの?なんて盛大な開き具合に呆れ声の部屋の主が「さっさと上がれ」と心底面倒そうに幾分足早に浴室から出ていった。何だそれ、理不尽過ぎね?というか今のはどう見ても自爆じゃないし、と思う暇なんて与えられる筈もなく。

 俺は死に損ない過ぎていた。一度目は弟に首を、二度目は顔も知らない男に頭をやられかけて、その度に生き残ってしまっている。三度目はないだろうなと薄ぼんやり思うようになると何故かその後不思議とそれらしい場面に遭遇していなかった。だから今回がその三度目になると踏んで高を括っていたのは否めない。染みだらけの壁と街灯が目に入って、何とか生きてたらしい事を知った。
 まだ鉄臭さの残る口内に辟易しいしい、脱衣所にあった新品らしいタオルで傷を簡単に塞ぐ。見る間に白から赤になる布を見ていたら、何か笑えて来た。自棄を起こした変な笑いって言うよりは、普通に、笑顔。明日晴れるのか、良かったってな感じの。
 止血にもなってない止血じゃ流石に止まり切らなかったのか、あまり効果はないようだった。重力に従ってぼたんぼたんと滴るそれを見ていたら「おい突っ立ってんじゃねぇよ」なんて怒声が飛んで来る。見えてない癖に何で当たってんだあの人、倒れてるとか思わないのかよ。思わないんだろうな。それはそれで、何故か気に食わない。
 
 「何でそのまま出て来てんの?」「いや手が塞がってて」
 
 殺風景なリビングに入ると物凄い形相で見咎められる。早く来いって言ったのは誰だったんだろう。幻聴?下は一応履いてるんだけど。謝られないから自然と謝らなくなっていく。刷り込みのように。だからこの人に謝る気はないし、そうされる予定も絶無だろう。あったとしたら、それは恐らく何方かが謝れなくなった時だけだ。

 でも浴室へ取って返して、バスタオル片手に大型犬よろしく頭を拭かれた時には流石に居た堪れなくなって口から出かけた。小言もなしにそんな事をされるなんて、また地味な嫌がらせを、と項垂れさせた頭が上げられなくなる。

 「もうへーきですよ…​…​なぁ聞いて」

 多分聞こえてても止めないんだろうな、とか思っていたらその乱雑に髪を拭っていた手が唐突に止まって、先程無理矢理止血してまった腕を取られていた。被せられたままのタオルは視界いっぱいに白く広がっていて、俯いたままではその顔は全く見えない。温度のない床に座って、何方か一方の反応が訪れるまで動く事の許されない沈黙に身を委ねる。

 殺されるなら、こういう時が良いな。 訳もなく思う。まぁこの人に殺されてやる気はないし、今ならば多分死なない。何となくそんな自信があるけれど。

 「…​…​お前さ、」

 タオル越しのくぐもった呟きは、そこでふっつりと途切れてしまう。後を継ぐ為に用意していた幾つかの下らない話は、その真剣さになりを潜める。

 「何」

 何処と無く抑揚の失せた返事になんとなく、その視界に入っていない筈の肩が振れたのが分かった。

 らしくない。死に損ねた俺みたいになんだか滑稽に思えてきて。
無造作に、頭の上に居座っていたタオルを引き剥がす。邪魔だったから。

 「…​…​何」

 鸚鵡返しのよう反復された言葉に対抗して、さっき俺が雑に巻いた腕のタオルも毟り取った。流石に皮膚ごとちぎれそうな感触がしたけど、そんなこと御構い無しに血塗れのそれを床へと落とす。最後に、その人の目を見る。きっと恐らく呆れかえって笑えないくらいの冷酷な顔が俺を待ち受けているのだ。

 そう思っていてもなぜか

 俯いた視線があげられなかった。
 なんか言えって、と。
 そういう空気に、俺は無視を決め込んで、ゆっくりと顔を上げる。

 見るとそこには

「せ、んぱ……——」

 鈍く明滅する蛍光灯越しに、えらい勢いで椅子を上段に振りかぶった人間が見えた。

 え、あ 何これ

俺死んだんじゃね?