瘡蓋

 「っばーーーか。殴るわけないだろ、そんななりしてるお前なんか」

 先程割と本気で神に祈ってしまった自分を殺したい。ガタガタと床に傷を付けながら椅子を下ろすのを見ていたら睨まれた。まるで仇敵を仕留め損ねたような屈辱的な表情で。
 あー、びびって損した、とかなんとか胸中で呟きつつも、顔の前で交差させたままの腕が中々下ろせなかったのは眼前の男が何も再び椅子を構え直したからじゃない。

 「お前さ、どうして死にそうな怪我した時だけ俺んとこ来んの」

 他人の家棺桶にしようとすんなよ。いつになく直球ストレートな罵倒で他者を貶めたのを見る。俺には大体いつも通りなので特に言及することが無い。すると視線は交わらず、今度は反対に俯いた男の頭が見えた。旋毛の向きを眺めていても良かったけど、あー、と答えを探している風を装って、シャワーの水でまだ湿っぽい右手を掴んでみる。思ったより小さい。骨っぽいけど。

 「…​…​なにしてんの?」

 徐に謎な行動をし始める俺を見て怪訝な顔をする人に何となく呟いてみる。

 「暑かったら、寒いとこに行きたくなるじゃん」
 

 今度は人の家を冷蔵庫かなんかにしてんじゃねーよとか、バカなの、みたいな。いつも通りの顔されるんだよなぁ、と予想してその通りになるのを疑ってなかった。実際自分でも何言ってたかよく分からない。そもそもそんな自覚がなかったのもある。意識してなかったし、怪我してない時も来たことあった気がしてたけどそう言われるとそうだった気もする。別に見せびらかそうとかしてた訳じゃ無いと思うんだけど。「俺は嫌なんだけど、足が勝手に」なんて続けたらどんな顔するんだろうか。握った腕は微温湯を浴びた後にはないような温度だった。冷たく、血が止まってしまってでもいるみたいだ。心地いい。俺と違って、平熱が低いのかも知れない。

 「まだ信じてんの?」

 何を、と問い返す前に、それが目に飛び込んで来た。

 「殺されたいんだろ、ずっと」

 ステンレス製の何処にでもあるような包丁に瞳孔が縫い止められる。刃先が真っ直ぐ僅かなブレもせず鼻先数センチのところで留まっているのに何故か凶器の方に自分のピントが合っていなかった。瞳孔を引き絞る。
殺されて欲しかった、じゃなかったか。どっちだったっけ。もうよく覚えていない。

 「”死に損ない“」

 そう。間違いなく、俺は何かの弾みで間違えた。
 呆れられて、見放された。もういいやって頭がガンガン喚いてる時に、冷たい視線に晒されるのを期待して。

 「看取って欲しいだけじゃないすか」

 何で他人事だよ、って舌打がする。満更嘘でもなかったのだけど、信じていい程真剣味が足りないから俺の言葉はいつだって嘘だし、嘘でいい。

 「もっとマシな理由ないのかよ」

 特に何も浮かばない。口から出た理由なんて全部後付だし、生きてる内の行動でしか伝わらない気がする。そのつもりだ。今までも、これからも。好きな所で死ねるとはどうしても思えないから、だから来てしまうんじゃないか。勝手に落ち着けた結論が出ていくことはなく。
 振り上げられた鋒が閃き、ダンッとフローリングの床に突き立っていた。直ぐ横に俺の指があったんだけど、肌までの距離は数ミリもなかった。鼓動は至って平生を保っていた。寧ろその感覚に安心して笑っていられる。
 彼は

「アホみたいに死のうとして、死ねなくなるなら

——お前はずっとそうやって、死に損なってろ」

 「っ゙いって‼︎‼︎」

 冷めた瞳で包丁の柄を飛来させた。