液晶がちらつく数字を示している。部屋を借りた際に押し付けられた配給品のPDAが小煩く日の出を知らせているからだ。俺はずぶ濡れになって重い四肢を引き摺る野犬か何かのように、嫌に不機嫌な唸りを上げて役割ばかりを主張するアラームを止めにかかった。まただ。また始まるのだ。
寝ぼけ眼を瞬かせると枕元を弄った。金属の感触に安堵する。無造作に放り投げてある時計は、PDAと殆ど同じ時間に合わさっている。ズレが生じると修正機能が働いてしまう便利なそれは、外見こそ真鍮製で鍍金めいた古めかしさだけは充分にある代物だ。今日日染め革のベルトなんてものを備えた、ちぐはぐな時を刻んでいる時計の風防ガラスに爪を立てて、竜頭を捻る。ぐんぐんと進めてから、慌てて巻き戻す。いけない、進む向きも分からなくなっている。早く目覚めてしまおう。
いつもの通りに、時間にも満たない時間をもうずっとこうして毎日巻き戻している。ずっと、もうずっと。長い間同じことを繰り返し過ぎた為に、外の時間を知らないでいる方法を手に入れてしまったのだ。とはいえそんな時間も叩き起こされるまでの束の間にしかこの手にない。はっきりとした意識の中では自ら、児戯に違いない、一刻も早く辞めてしまわなければと省みさえしている。だが床に就く寸前には何の効果も得られなかった。
俺は昨日には会えない。逆説的に明日には労せずして会えることになる。一連の、馬鹿げた、まじない風の、そういった類のつまらない習慣はそれ自体について説明とか理解とかいった具体的な形に何一つ結び付いていかなかった。遠からず出る結論を意味もなく先延ばしにしている。
あいつの顔を見ない日が来ないか、といったことばかりが脳裏を過る。
昨日に戻れば、時が進まなければ見ずに済んだ。あいつのあんなにも穏やかな顔を、俺はもう二度と目にしたくないんだ。その為になるのならば何だってするだろう。出来得る全てに手を染めたって構わないとだって考えもしたろう。その一心で、今日も針を戻している。
【不甲斐のない男にはこの行為がどんなにか恨めしい罠になっているか知るには遅過ぎた。】
また朝から始まる朝に俺は何か一つの転機を迎えたことを察知した、というには過言だ。しかし、ほんの些細な入れ違いに罠は容赦がなかった。
いつも通りに腕時計の針を巻き戻せるだけ戻して、身支度を整える。小さな違いについて思い出せたのは玄関を潜る間際も間際だった。
寝室と別にある部屋のドアから向こうがこの時間にしてはおかしな感じがして大して身構もせず開け放った。
果たして部屋の真ん中に居たのは、見覚えなんてある筈のない赤の他人だった。一体全体何処から入ったというのか。施錠はおろかロビーを通るだけでもブザーを聞かずに抜けられないのにだ。
「なんだ、あんた」
この部屋をどうやって嗅ぎ付けたのだかは糺さないでおくとしても、見ず知らずの男を上げるような用は入っていない。
酷く緩慢な動作で男が正面を向く。のっぺりした、何というかあんまりに不出来な妄想から飛び出して来たのだ、と紹介を受けたなら信じてしまいそうな男の、さも無関心そうでいながらも燥ぎたがっていそうな気さえする佇まいが鼻につく。お前なんかこれっぽっちも知らない。誰だが知らないが、早く出て行ってくれないか。この部屋に誰かを入れるなんて冗談じゃない。
「なんだ、なんてご挨拶。僕が何に見えるっていうんだ?」
男は呟くように言うと——ベッドの上を指差して訊ねる。
「彼にもう一度会いに行くか、それとも時間を巻き戻すか。君が僕に示せるのはこの二つだけだ。分かっているんだろ?」
死神だ——俺は一切を聞かなかった素振りをして、部屋を飛び出した。戻って来るともう室内に立っているのは俺一人で。