電飾サインと目に煩いカラフルな筐体。奏でられる大音響に埋め尽くされた空間は、勿論洒落たパブでもクラブでもなかった。
ここは景品目当てに金が飛ぶ娯楽施設で、つまりはパチ屋に隣接するゲーセン。立体駐車場付きの規模なものだから巷では余所に比べて実入は良い。そこで俺は苦痛に堪えていた。外は既に日没を迎えていたが店内は無人であろうとなかろうと絶えず騒々しい。現状の悪化に輪を掛けている原因を探ろうとして、止めた。
「おつかれさまでーす」
バックヤードに漸く戻って来た後輩は声を張り上げた。フロアの影響を受けたものらしい。舌打ち混じりに渋面を向けた。
「るさ……くそ響くわ」
「すんません、って顔色悪。二日酔いすか?」
「違うっつの」
後輩、斉木とのやり取りは無線越しに確認した以上は特になく、普段以上に慌ただしくもない。サラリーマンやら学生やら、有意義な時間の潰し方を知らない人間の溜まり場と化していた。
こんな所に来て得られるものといっても、筐体の内容物を一つも得られなかったという無力感だけ、とは思わないでおく。中にはプライズ限定品の看板に踊らされ大金を注ぎ込んで楽しむ連中も居るのだ。雇われている身からすると、幾らでも落としてくれて構わない。こっちはこっちで、態と不利になるように陳列し射幸性を煽る不健全な商売の片棒を担いでいる。詐欺と娯楽の境界線は一体何処に引けば正解なのだろう。
どの道ここは搾取される立場を楽しむ為に金を払う所であるのは変わらない。
それはともかくとして、目下治まる気配のない頭痛は激しさを増していた。鬱陶しくて苛々する。
「生理とか?」
「殺すぞ」
「こーわ、先輩モテないっすよ」
どっちでもいい。というかお前は早く上がれ。バイトの癖して偉そうな態度の斉木をさっさと追い出して一息吐く。
気の所為にしたい憂鬱が滲み出すのを感じながら家路につく。
滞りなく仕事を終え狭苦しいアパートの前に立つと違和感を覚えた。見慣れた景色だ。何の変哲もない。肥大化する焦りを抱えたまま、錆だらけの階段を駆け上がる。鍵を探し、差し込んでみる。
おかしい。本来あるべき手応えがない。
何処にも引っ掛からず回った鍵を素早く引き抜いて辺りを観察する。奇妙なところは目の前の扉以外何もない。
握ったドアノブが手汗で滑った。抵抗なく開いてしまった。
安アパートのポストはガムテープで塞いである。最近越してきた隣室の男には不審そうな目を向けられたが気にされていようがいまいが不必要に干渉は受けていない。こういう時だけは無関心な社会というのも心強かった。ワンルームの最奥に位置する窓は目張りをしカーテンは閉め切って外気の侵入を遮っている。完全ではないにせよそれなりに気休めになる、と思っていた。
気付いていたのに、どうして。
入るなり部屋を飛び出していた。
何処で一夜を過ごすか決め倦ねて、結局仕事場に程近い漫喫に軒を借りる羽目になった。
頭痛は酷くなる一方だった。低気圧のせいでは決してない。呑気に出勤しているのは普段通りの反復を繰り返して気を紛らわせたかったからに決まっていた。まだ大丈夫を口の中で唱える。同時にあり得ないとも考えていた。昨晩ピッキングまでされたっていうのに一体何が平気なんだ?どう見ても空巣の仕業じゃない。物盗りなら荒らされた形跡がないのはおかしい。無事で幸いだったなんて安心するのは間違いだろう。
金曜日という条件によるものか、店内は学生と思しきグループの人集りがある他は特別何も異変は見受けられない。対戦ゲームに群がった次は店内奥側、向こうのクレーン筐体の方で一際喧しい歓声が上がった。どうやら釣果があったようだ。飲酒でもしてプレイしているのではないかという盛り上がり方に辟易した。音響にも負けず姦しい子供達だな。
「そういやあれ、何処の奴か知ってます?」
「○大だろ、この近所だと」
「あー駅近の私大。いいっすねー親も子も恵まれてて……こっちは薄給でこき使われてんのに。てか出禁にしません?あいつ、結構グレーな取り方してるって最近噂で」
「んな権限ねぇよ」
「いやそーですけど〜」
愚痴を吐くだけ吐くと斉木は裏手のブースに引っ込む、直前に一言だけ残して。
「一番奥列のクレーンで位置変えしてくれって人がいたんで、後代わりお願いして貰えますか?」
「ふざけやがって」
入りたての頃から面倒見てやったらこれだ。接客を渋って押し付けて自分は……俺だって帰れるものなら帰ったろう。
筐体の鍵束を携えて目的地まで来ると誰の影も形もなかった。見渡すが周囲は無人。待たされ疲れて諦めて帰った、のだろう。それか担がれたのかも知れない。悪ふざけにしてはタチが悪い気がするが今更喚いても後の祭りだ。どうせ本人はもう終業済みなのだから。
嘆息ついでに煌々と輝く筐体の内側を眺めた。異常はない。しかしそこでじっとしたままのぬいぐるみは口を大きく開け後付けの目でこっちを見ていた。間抜け野郎と。煩い、俺を見るな。趣味の悪い想像が頭に広がっていくと、程なくして。
「久し振り」
視線は眼前の筐体から一ミリも逸らせなかった。とん、と真横に凭れかかる気配がするともう、一言も発せなくなる。しかし何十秒という重い沈黙に痺れを切らしたのは自分の方だった。
「よく、分かったな、ここ」
「でしょ?……後輩くん?にさ、あの子に金渡したらすぐ教えてくれたんだぁ。親切っていいね」
後輩のがめつさと口の軽さに辟易している場合じゃない。恐れていた事態が目の前にはあった。元から友人であったような口調。そんな訳はないのに。
そいつと初めに会ったのは確か二つ前に働いていた店だった。記憶違いでなければ所謂リフレ店とか呼ばれていた店に居た時期に会った男。
当時どんな身なりだったか大勢の一人でしかない人間なんて逐一覚えていられないしアフターもしてない。ただ他愛もない会話を交わして親しい仲である前提を売り買いしていた。それだけだ。
にも関わらずそれから周囲に異変が起きた。一番のきっかけは、よく見かける野良猫を見なくなったことだ。数日後発見されることになるが見れたものじゃなかった。
それから周囲、主に俺の近隣に限って何かが起こる。大家や隣人に不審な目を向けられ追い出されかけたのも一度や二度じゃない。思い出すのも忌々しい数々の所業は最終的に現在に至るまで継続している。その何が最も悍ましいと言えば俺は男の素性はおろか動機すら知らないことだ。真意が悪意であれ何であれ、所謂ストーカーに目を付けられてもう半年以上は経った。
名前なんて知らなかった。でも名前以上に手口だけはよく分かっている。本気でふざけてる。
「探した」
探される筋合いはない。元から赤の他人だ。それ以上の時間を割ける間柄になった覚えはないし、これからも皆無だ。でないと困る。どうにかしてここから離れた方がいい。全身を緊張で強張らせながらも後退った。
「どこ行くの」
距離にして数歩もない間を、一足飛びで詰め寄る声音は淡々としていた。威圧的でもないのに足が竦んで固まる。何故こっちが非難されなければならないのか喚くのは後でいい。どの道今の部屋は割れてしまっている。何処に帰ればいい?背筋を冷汗が伝い落ち、逡巡して真面に頭の回らない俺の手を男が取ると、突然指を絡めて来る。鳥肌が立つ。でも、もう逃げ場がない。
従う、しかないのか。
首を横に振る。違う。従ったりしない。機会を窺うだけだ。暴れられたら何をされるか分からない。
ただ何を勘違いしたか一瞬で不穏さを打ち消した男は告げた。
「ありがと。じゃ、終わるまで待ってるからなるべく早くしてね」
正面切って合わせる整った顔はいっそ清々しいほど何の衒いも見えなかった。
「じゃ、行こ」
唯一の裏口に出待ちされ、引き摺られるように後ろを付いて来るよう命令されるがまま、気付くと景色は変わっていた。その場から逃げ出す算段なら幾つも浮かんだのに、それら全てを実行に移そうとすると現れる虚無感に見張られ続けて結局喚きたい気力さえ持てなかった。いつからこんな聞き分けのいい諦め癖を身に付けていたのかと自虐する。状況としてはどう見ても現実逃避でしかないのに。
どこをどうやって辿り着いたかやっと周囲をはっきりと認識した頃には億ションだかタワマンだかが仰々しく建ち並んだ地域に足を踏み入れていた。全く土地勘のない通りの向こうは川が流れていて、橋を境にしみったれたアパートなんか裸足で逃げ出す小綺麗な建物ばかりが我が物顔した高級住宅街の付録のように遠巻きに密集していた。その内の一つに男は堂々と入って行く。手入れの行き届いたエントランスを抜けた先は長い廊下が伸び、突き当たりにある重々しい扉が目的地らしかった。
そこに現れたのは不必要に広い一室だった。一人で住んでいるのか?三和土に無造作に並べられた靴のどれを見ても似通ったサイズで安堵した。年恰好からして不相応な部屋には見えるが、かえって相手が一人ならばどうとてもなる、と言い聞かせた。かといって冷静さを取り戻した時点で既に逃げ出す機会は逸している。
「これさぁ、昨日初めて取れたんだー。あげる」
熊だか猫だか分からない中途半端な見た目をした毛むくじゃらを無理矢理押し付けられる。仮に受け取ろうとしても出来るものか。リビングに入って早々、結束バンドの上からガムテープで幾重にも拘束された腕が軋んだ。
「…………要らねぇ」
「えー貰ってよ」
渋面を向ける。白々しい。どうせ綿の代わりに中に入っているものが何かくらいお互い知っていて、だからこそ妙な信頼感が生じてさえいる、という態度が心底薄気味悪い。冗談じゃない、馬鹿馬鹿しい。やり口なら嫌と言うほど学んでいる。それだけだ。引き裂いてはらわたをぶち撒ける手間を省いただけだ。
「やっと取れたんだけどほんと意地の悪い配置。結構頑張っちゃった」
こいつなりの嫌味か?この際別にどうでもいいが近い。大の男二人が使って余裕のあるソファに腰掛けているのに明らかに至近距離に迫られる。そんな目の端に、大小様々なぬいぐるみが部屋中に転がされているのを指した。何がやっとだ。こんな下らない雑談に興じて良い状況じゃない。
「そのへん、にもあんだろ」
「あ、これ?何か勝手に置いてく奴が居るんだよね。取るだけ取ったら要らないからって言うんだけど何したいんだか。家が狭くて置く場所ないならやらなきゃいいのにさ」
べらべら喋るストーカー野郎が何を言っても説得力は皆無に等しい。適当に相槌を打ちながら、間取りを思い浮かべていた。
入ってすぐの扉は寝室だった。その次は恐らく水場。リビングは出口が二つあって、一つは玄関に、もう一つはまた違う部屋に繋がっている。ソファの反対側にはベランダに通じる一面のガラス戸があるが外の高さは優に四階以上あった。最悪の手段はまだ選びたくない。ただこうして互い以外に人目のない空間に居ると、客と従業員の頃を思い出した。もしそれがきっかけなんだとしたら——あの日俺は何を、話したんだったか。疲労感で意識が次第に霞がかっていく。それもこれも全てこいつなんかの所為なのに。まずい。今飛んだらもう目覚めないかも知れない。こいつの目的だってまだ分からないのに。
目的?
何かが引っ掛かる。がそんな余裕は瞬時に消えた。
「なっ……っぅん‼︎」
「っふ……嫌っそうなカオ。叫んでもいいよ。ここ壁厚いから」
口内を舌に弄られぎょっとする。低く掠れた声が耳朶を嬲り、肩が跳ねた。急に仕掛けられた口付けを躱せもせず受け入れてしまう。もう目的がどんなものであるにせよ二度と許してやる理由はなくなった。頭突きでも膝蹴りでも見舞ってやろうかとした直後、腕ごと引っ張り起こされて不発に終わった。
忙しない展開に疲弊する隙もなく、押し込まれたのはまたしても馬鹿みたいに広い、浴室だった。灯りは消えていた。しかし薄暗いながらも音だけはよく跳ね返りそうで、浴槽は湯気もなく一目で空と分かる。シャワーの蛇口を捻った男が振り返って手招きするが、その手に握られていたのは剃刀だった。
「な、にして」
「ん?ああ、これ?大丈夫、普通に使うだけだから。準備だよ」
普通に、って。この状況で髭でも剃るなんて言わないだろう。準備だとか何だとか、意味の分からない言動に付き合っていると頭が麻痺してくる。間違ってるのは決して俺じゃない。本当に?雁字搦めに拘束されたままいつ何をされるか警戒する俺は変じゃないのか。分からない。なりふり構わず逃げなければいけないのに蛇に睨まれたように足は動かない。もしその鋒が矛先を変えたら。腕は使えない、かといって闇雲に抵抗しても結果は火を見るより明らかだ。どうすべきかと懊悩していた所に、素っ頓狂に明るい耳障りな声が浴室に響き渡った。
「はい、ばんざーい」
上はそのままでも良いけど、と何か呟いている。
は?服を脱げって。どういう神経をして出たのか知らないが、是非もなく服を引き剥がされた下肢を骨張った指が撫で過ぎると皮膚が粟立った。冷たい床に座らされるや、背後に回り込まれ絡めた脚に固定されて下肢が露わにされる。その不様な体勢と言ったらなかった。
「危ないから動かないで。切りたくない」
剃刀が肌を滑った。下腹部を何度も往復する手付きはやけに丁寧で腰が浮いてしまう。陰茎を下から支え、付け根から会陰、睾丸に至るまで念入りに陰毛が剃り落とされ徐々に肌が露わになる。
浴室の鏡は痴態を余す所なく映し出していた。下肢を晒して……晒されている自分と、対照的に服を着たままの男の姿を直視出来ない。些細な刺激で本能が表に出ないように、ただそれだけに意識を注いで。
「恥ずかしい?」
「やめろっ」
「違うの?ならちゃんと見てて……大賀のパイパンになるトコ」
自由の効かない腕で足掻こうとも想像以上に背後からの力が強く全く意味を成さない。それどころか反対に鈴口に爪を立てられ息を呑んだ。凶器を振るわれるよりマシだなんてどうして一ミリでも油断したのか。耳元を吐息が掠めて笑われたのだと悟った。出来るものならぶん殴ってやりたい。どうにもならない怒りを鏡の奥にぶつけると、やけにギラついた視線とかち合った。
「危ないって言ったよ」
「ぃ゙ぁぁ……っ」
「あは、もうち○こ勃ってんの」
膝裏を持ち上げたことでより身体が密着し、同じ声量でもはっきりと鼓膜を震わせた、粘着質な嘲りに奥歯を噛み締める。屈辱以外の何物でもない行為の最中だ。浴室で捲られた袖の下を注視したのは完全に無意識だった。こいつ、腕に。怪訝な視線に「これ?」と、無邪気に声を弾ませる。ずたずたに切り刻まれた皮膚を見せ付けながらさも上機嫌そうに明かした。
「そ。この剃刀ね、俺の腕切るのに使ってたやつだよ」
つ、と刃の先が根元に当てがわれる。背筋が震えて、反射的に肘が跳ね上がってしまった。
違う。違う違う。俺はおかしくなんかない、絶対に違う。
「ったぁ……ダメでしょ?」
「ぁ、っ」
「そんなに嬉しかった?」
「ぅ……ぁ」
まただ。また手篭めにされる。抜け出せない。
完全に反り返って反応した陰茎が掌に包まれ上下に扱かれる。乱した呼吸を面白がって、何度も何度も緩急を付けて繰り返される内、手足に力が入らなくなってきていた。抗えなくなる。弛緩した体重全てを預ける形にならざるを得ない。
「っふふ。さきっぽとろとろ、ほら」
「……ってないっ」
焦らすように触れたかと思えば痛いくらいの速度に苛まれ、吐精欲に爪先が震えた。先走りが糸を引いているのが嫌というほど分かる。やばい、これ以上されたら流石に誤魔化し切れない。そう危惧してばかりいたのに不意に手が離れた。急速に引いていく熱と入れ替わりに全身に広がった疼きを認めたくなくて、振り返る。すると待ってましたと言わんばかりのタイミングでもう一度緩く扱かれ、媚びるような声を上げてしまう。内腿がひくつき、弄ばれているのに悦んでいる。
「んぁ……ぁ‼︎」
「イイ?そうだな、イくって言えたらイかしてあげるよ」
「……っ」
「言えないの?そっかぁ。じゃあ」
言いなりになって堪るか。必死で首を横に振る。寸止めされた上に懇願するなんて真似はしたくない。したくなかった。勿体ぶって目の前に突き出されたのは——液体の詰まったシリンジ。青褪めている暇は無かった。
「ついでに腹ん中も綺麗にしよっか」
◆
「三回目、っと。もう空になったかな」
腹の奥が熱い。何度も注入された微温湯が蠕動に従って出て行き、排出された側からかまた入れられ受け容れる為に耐えたくもない苦痛を押し殺す。濡れた服が重い。
元々そういう趣向で出入りしていた客も多かったし俺は処女でもない。でもこんなに何処もかしこも言うことを聞かないのはなんでだ。無理矢理抱かれた方がいいなんて血迷った後悔が押し寄せる。
「どう?全部出せた?」
「さわぁん、な……っ」
洗浄され続けた下腹が重怠く、鼻にかかった声が抑えられない。焦りを覚えた。触れられた皮膚の下で得体の知れない欲望に、理性が蝕まれていく。こんなのは知らない。空になったシリンジに代わり、現れたのは薄さ何ミリと書かれた一つの箱だ。中身を一枚取り出してご丁寧にも指に嵌めている。その後何が起こるかは笑えるくらい決まっていた。
「拡げるよ」
「ゃ……ぅ」
ゴム付きの指が秘部の縁にかかって、内部への侵入を許してしまった。意識したくもない関節の太さまで教えられる。嫌だ、いやだ暴かれるのは嫌だ耐えるのはもう嫌だ、もう追いかけられるのは嫌なんだ。咄嗟に滅多矢鱈に暴れて、固定されていた四肢を無理矢理引き剥がすことに成功した。瞬間漸く拘束から解き放たれ、猛然と男の腕から這い出した。浴室の扉に駆け寄り開け放とうとした腕に突然鋭い痛みが走る。
「待ってよ」
「かえ、んだよっ!」
引き留める力も並ではなかったが構っていられない。ここに居たくない。居たらおかしくなる、戻って行く気配がする。戻りたくもない昔に。
「何処に?大賀にもう帰る所なんてないよ」
肩を揺らしている癖、冷や水のように淡々と浴びせられかけた一言は激昂するに十分だった。
「お前が居なければ良……っ⁈」
虚を突かれ、掴まれた腕ごと羽交い締めにされる。真正面に対峙した男の表情は読めなかった。だけでなく後頭部を抱き濡れた髪を指で梳く、その宥めるような触れ方が癇に障る。そして囁かれた言葉に耳を疑った。
「久我大賀、地元では不倫した親の子供って扱いをずっと受けてた。厳格なお祖母さんに嫌われて家中追い回されたりもしてたって。凄いね、害虫みたいだ。それからすぐ上京して実家とは絶縁状態になった。衝動的に出て来たからツテも当てもなくって辞められなかった。そうだよね?」
一言一句間違いない情報の羅列は煮え滾った脳天を直撃した。
そうだ、彼女が俺を探しに来るのは決まって眠る前だった。探しに。変な話だ。同じ屋根の下に住んでいれば居て当たり前なのに。祖母にとってはその事実が許し難く耐え難い苦痛だったようだ。まるで戸締りを確かめるように扉を叩かれるのが日常だった。不在の証拠を得たがっていた。返事をしてはいけない。息を殺してじっとしていなければならない。俺は何処にも居なかった。時には納屋に一人で閉じこもって嵐が過ぎるのを待った。耳を塞いでまた家に入れて下さいと願っていれば叶うのだと本気で信じていた。目を見れば分かった。害虫?それ以下だ。暗い影でじっとしている所だけを見たら確かに虫のようではあったろう。でもあそこではそんなものにも満たなかった。初めから決まっていたのだ。でもなんで。
「なんで、知って……」
「覚えてないんだ?全部話してくれたの」
話したって、俺が?足元がぐらぐらして胃液が込み上げてくる。分からない。上目遣いに見上げた自身の表情がどんなものだったかは知る由もないがまたしても自由が奪われる。
「うーそ、冗談。大賀は何にも話してないよ。俺が自力で調べただけだから、そんなに心配しないで」
「してな……ぅ、っんゃ⁈」
「まだキツいかぁ」
「ゃ、ぁっ、ぅあっぁ……」
「もっと慣らそ。こっち」
ダブルサイズのベッドが放られた身体を受け止めた。シャツが水気を含んで重く肌に張り付きながらシーツを濡らしていた。乗り上げた男が浴室とは反対に対面する。足の間の露骨な隆起に絶句し、反射的にベッドヘッドの方へ逃げてみたものの足首が捕まり本気で逃がさないという意志を感じて喉がひくつく。
「ゃ、来んな、ぁあ゙っ」
「解すだけだよ」
「いらない、いぃ……っ!」
「ほんとにいいの?」
「ぅあっ!」
「大賀が大っきくしたのに、これ」
押し当てられた膨らみの、布越しでも分かる熱につられて見ると、凶悪な笑みを浮かべた男が迫って来る。もう気休めに冷静振っても意味が無い。互いの興奮だけが鮮明になっている。流されて、早く解放された方が楽になれるんじゃないのか。諦めに似た誘惑を頭から追い払った。
「……幾らだよ」
「え?」
「だから、幾ら欲しいんだよ……っのストーカーっ……‼︎」
支離滅裂なことを言っているのは気付いていた。端金だろう、俺なんかから幾ら毟り取ったところで。他にも沢山罵倒を吐いた気がする。消えろとか、煩いとか。とにかく稚拙で単純な暴言をこれでもかと叩き付けた。しかし男の顔色は微塵も変わらなかった。全くと言っていいほど取り合う気がないらしい。悔しさが目尻から零れ落ちる。気持ち悪い、気色悪い。連れ込まれてからもう何度思い込もうとしたか分からない。
「要らないよ、何にも。大賀以外には、ねっ」
「ゃ、ぁああ゙あ゙っっっ‼︎」
怒張を捩じ込まれ、逃し切れない衝撃に仰け反って堪えている間じっとりと一部始終を視姦され、居ても立っても居られない。こっちは見たくもなかったのに無毛にされた陰部に羞恥を煽られて、反論する所じゃなくなった。
「中びくびくしてる……?あったかいね」
「ぁっっ……つ、あついぃ……っ!」
「すぐヨくなるから……掴まってて」
正常位の体勢が交合を深くし、言われるがまま揺さぶられるしかなくなる。辛うじて覆い被さる胸元に不自由な両手でしがみ付いてみても楽になんかならない。まだ腕すら解放されていないのに、捩じ込まれる衝撃に迫り上がる感覚にどうしようもなくなる。
「……っ外っせ……っよ、これ……ぇ゙っ!」
「どうしよっかなぁ……」
「っやぁあっ〜あ゙あぁっっ」
「中ハメ良さそ……咥え込んで。淫乱、だっけ?こういうの。もっと欲しい?」
「……っ言、うな……んで、俺なんだよ……っっ」
「なんで、って——
●
だって大賀が言ったんだよ。『一度だけ、誰でもいいから見付けて欲しかったって。見付けて落胆しないで欲しかった』って。
初めて店で指名したら、大賀そう言ってたから。だから探した。見付かって良かった」
酷く優しく微笑んだ男の顔が近付くと何度も触れるだけのキスが降って来た。啄む体温が離れそうになると自分でも無意識の内に手が伸びていた。白く線を残した傷だらけの手首の下ではっきり分かる程早まる脈拍につられて、舌の深度も次第に変わっていく。応える義理なんてないのに幾度となく口内を貪り合ってしまった。
「……どうしたの?」
「は……っ違……、何で……」
期待する前に逃げたのに、がっかりされたくなかった。あの人の不安定な怒りが母さんに飛び火するのが怖かった。いつもそうだった。俺の不在を認めると今度は清算するみたいに母さんを詰る。だから、それで。
嘘だ。そんなのは全てまるきり嘘で、俺だけが助かれば良いと思っていたに違いない。でなきゃ何で俺は今まで誰にも。
「怖くないよ。もうへーき」
「……っぅゔ……抜け、よぉ」
「それはちょっと、出来ない」
「な、ぁあ゙っぁ゙っ‼︎」
こいつから逃げてたって、意味なんてない。何からも逃げられないんだ。忘れていた。
何でこいつなんだろう。なんでこいつじゃなきゃいけなかったんだろう。突き入れられる接合部からは卑猥な音が聞こえるがそれ以上に煽られるのは、普通なら自分ですら隠されていて部分が露わになっているからだった。体毛の一部が取り払われただけでこんなに顔に熱が集まるなんて思いもよらなかった。
「剃ったから良く見えちゃうね……分かる?」
「分か、な……っひっぃ゙っん♡!」
腸壁を抉り付け根を愛おしげになぞっていた手に力が込められる。あまりの窮屈さに必死で縋って懇願してみても容赦がない。丁寧に拡げれた内部が抽送にしゃぶりついて、精子を欲しがるだけの種壺になる。それでもいい、と頭の片隅の何処かで声高に上がる叫びに身体が余す所なく毒されていく。もう僅かの我慢も出来そうにない。
「あ゙っゃ、ぁ、出っ」
「だーめ。こっちじゃないでしょ……っ」
「やっぁ……っん゙ん‼︎」
「あっは……っやっぱ取ったらそれでおしまいとか、俺には無理……っ大賀……っ‼︎」
「ゃ……っイ……ッッ‼︎」
一瞬意識が途切れた錯覚を起こした。目の中に稲光が轟いた、なんていうのは余りにも強い快楽によって齎された幻に過ぎなかったが、暴れ狂って仕方のない情欲は『お前なんか消えちまえ』の、言われ慣れた悲鳴を形にはしなかった。引き換えに漏れる嬌声を噛み殺して、余韻に力の抜けた舌を駆使して何とか絞り出そうと試みる。
「っぁあっ……♡」
「まだへばんないで……」
「も、もぉできなぁ……っ」
「へーきへーき……きもちいことだけしよ、ね?」
やっぱり消えちまえ。呪わしく心中に呟きながらひくついた内部で膨張する感触に身動いだ。